明治から令和へ
創業明治8年(1875年)
初代 高柳金太郎が明治8年にこの地で創業し創業当時は現在の菓子商ではなく、日常で使えるような巾着袋の商いをしていました。
“人々にを届けたい”という想いから屋号をにちなんで"福呂屋"と名付けました。
明治から大正へと時代が変わり、巾着袋の販売から菓子商へと事業転換しました。当時、時の鐘の通りで商いをしていた米穀商店から餅米やお米を調達し、餅菓子屋としてお餅や大福などの製造販売を行なっていました。

昭和のはじめには事業を引き継いだ先代が餅菓子に加え生菓子の製造をはじめ、和菓子屋として営業を続けていました。戦時中には材料の調達から製造に至るまで困難が続き、お店を続けることが難しかったが、地域の方々の支えによって続けることができました。この感謝の気持ちは今もなお代々引き継いでいます。そして、栽培が盛んだったさつま芋を使って芋菓子の製造を始める中、戦後、時代が大きく移り変わり西洋の文化が日本に広まり洋菓子が根付きました。私の先代である父は洋菓子店で修行を重ね、家業を継いだ時には、祖父が和菓子の製造、父が洋菓子の製造をして和洋菓子店として営業をしていました。

移り変わり、小江戸として川越が広く知れ渡り年間を通して多くの観光のお客様が来られるようになりました。福呂屋としても少しずつですが川越の歴史や風情をお菓子に変えて製造を行っていました。


そして、令和へと時代が変わり、先代から事業を引き継ぐ中、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るいお店の存続すら先の見えない状況が続きました。
同時に先代も他界し、お店の方向性をどうするか模索をしていましたが、原点に返り一からスタートする気概で業態を大幅にリニューアルしました。先代が好きで私も子どもの頃よく食べていたチーズケーキを軸として。
世の中は昨今も景気のいい状況とは言えず、先行きが不安な日々が続いていると少なからず感じています。
でも幸せや喜びは景気に左右されることはありません。
私たちが作り、販売するお菓子で少しでも幸せな気持ちになってくれたら嬉しいです。
川越は観光地として、今日も多くの方々が訪れています。私は観光客として振り分けるのではなく、先代から受け継いでいる感謝の気持ちを大切にして川越に住み暮らすひと、川越に訪れるひと、全てのひとに対して美味しいと言ってもらえるようなお菓子を作り皆様にお届けしたいと思っています。